街頭写真屋の話

 サンティアゴの大聖堂から、少し離れたところに、聖堂を詣でた人びとが憩う小公園がある。中央にある噴水のそばで、三脚に赤い箱を載せた男が人待ち顔で立っていた。同行者が興味津々に近づき、
「あら、街頭写真屋さんだわ。ねえ、撮ってもらいましょうよ」    
 赤い箱はカメラ兼暗室らしく、横側に見本のモノクロ写真が展示してある。いずれも古き佳き時代の写真のようなポートレイトだった。
「よし、撮ってもらおう」                                          
 写真屋は真面目な顔付きでうなずき、私たちを噴水の前に立たせた。     

 さっそく準備にとりかかる写真屋。東洋から訪ねてきた老境の夫婦を失望させぬように、いい写真を撮ろうと思っているのかもしれない。

 慎重にピントを合わせてから、まっすぐに私たちを見定めた。
 あらためて真正面から見ると、なかなかいい男である。こちらもデジカメを構えて、写真屋のポートレイトを撮ることにした。 

 向こうが大昔のカメラなら、こっちは現代のデジカメだぞ。勝負、勝負。

 写真屋は落ち着きはらって、レンズの前に付いている金属蓋をパッと開けた。ウノ、ドス、と数えたあと、素早く蓋を閉ざした。あとは、こちらに目もくれず、赤い箱の後部に付いている筒状の黒布のなかへ手を突っ込み、なにやら作業を開始した。                                         

 箱のなかから取りだした印画紙らしきものを現像液に浸けたあと、とつぜん噴水へと向かい、そこで水洗いをはじめた。

 噴水のそばで商売をしている理由が、これで判明した。噴水は、ただ背景としてだけのためにあるのではなかった。なあるほど、と私は思った。

 洗い終わった印画紙つまりはネガティブを、赤い箱の前面に立てた小さな衝立に貼って、今度はそれにピントを合わせ、じっくりと撮影する。つまり、ここで焼き付けを行なったわけである。            
 なあるほど、とまたしても思った

 焼き付けた印画紙を定着液に浸けてから、ふたたび噴水へ。写真屋の顔には、ほっとした表情が浮かんでいるようだ。どうやら、うまくいったらしい。

 あとは印画紙が乾くのを待つばかり。約二十分かかるから、と手真似で時計の針を示すので、私たちは近くのカフェテリアへ。                                                
 やがて、時間どおりに来てみると、おや、いつのまにか写真屋のそばのベンチに母娘とおぼしい二人が腰かけている。ははあ、彼の家族だな。サングラスをかけた可愛い娘は、物珍しげに私たちを眺めていた。

 かくて写真屋は、ニコリともせずに写真と引き換えに代金を受けとったあと、家族とともに、ふたたび客待ちをはじめるのだった。

 仕上がった写真は、レトロな雰囲気にあふれていた。どうやら新旧カメラの対決は、この風合いのよさでデジカメの負けということか。

 近く、写真屋と家族のデジカメ写真を、記念にサンティアゴへ送ろうかと思う。彼の住所や名前は知らないが、近くのカフェテリアの店名は知っている。そこへ送りつければ、きっと届くにちがいない。そう願っている。

(おわり)

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