(ささやかなエッセイ)

春の日
☆だいぶ前に掲載した小文ですが、被災された方々を想って再掲載します。(2011年)
人生の最初に晴れがましさと緊張を感じる機会といえば、やはり小学校の入学式だろう。 幼児から一段上の児童へと昇るステップでもあり、大勢の友達に出会う日でもあり、勉強をスタートさせる重要な日でもある。
幼稚園や保育園でも入園式というのがあって、 それなりに幼児には通常と異なる体験をする日のようだが、まだ遊びの延長で、 しかも保母さんが手取り足取りしてくれるから、入学式ほどの緊張はないようだ。
入学式は親にとっても心の引き締まるものだ。 ここまで無事に育ってくれたという安堵と、大きな集団のなかへ我が子を押しだしてやる不安との入り混じった、複雑な思いがある。
宮城県の気仙沼市は遠洋漁業の基地としても知られる町だが、 ここには子供の入学を盛大に祝う習慣がある。 入学式の前後に親戚や知人を招いて宴会を催す。 子供を上座に据えて御馳走を並べ、 結婚式のように引出物まで準備する。 招かれたほうも正装し、 祝儀を持って祝宴にのぞむ。 その時期になると、あっちでもこっちでも入学祝いの花盛りとなる。 子だくさんの家では、たいへんな物入りとなるはずだが、親たちは嬉々としている。
まるで漁船の進水式みたいだという人もいる。漁業関係者のあいだでは、新造船を思いっきり派手な大漁旗や幟で飾りたてて祝う習慣がある。 親戚や知人が祝儀を持って駆けつける。
そういえば、入学式と進水式はよく似ている。 学校へ通いはじめる子は、あたかも広い大海原へと出航していく新しい船のようなものだ。
気仙沼の子供たちは成長したのちも、生まれて初めて主役の座を与えられた歓びをけっして忘れないという。
四月初めの東北地方では、桜が咲くにはまだ早く、私なども入学式のときに花を見た記憶はない。だが、関東になるとほぼ七分咲きの状態で、わたしの長女と次女の記念写真はそれぞれ桜花に彩られている。
「いまでは懐かしい思い出だけど」
と、三十歳になった長女は写真を見ながら言う。
「体育館でクラスごとに並ばされたとき、前へならえを知らなくて困ったことをおぼえてるわ」
彼女は先頭から二番目に立っていたが、 両手を前へのばすことを知らずに、先頭の子を真似て両手を腰にあてた。ほかの新入生たちは幼稚園や保育園で教わったらしく、みんな前へならえを知っていたそうだ。
彼女にはその経験がなかった。 四六時中、母親と一緒にすごさせたいという父親の方針で、幼稚園や保育園には通わなかったからだ。おかげで集団生活に慣れていない彼女は、入学後も、だいぶ苦労したようだ。
幼稚園に入れるかどうかと考えたとき、 だれもが同じような幼児期をすごすことはないと私は思った。みんなと同じように入園させて、前へならえの幼児教育にまかせるよりは、母親の温もりのなかで育てたほうがいいと判断したのだ。それが裏目に出ようとは思いもしなかった。
同じことは次女にも当てはまる。 もともと内気な彼女の場合は、姉以上にたいへんだったらしく、 イジメの対象にもなったようだ。 そのせいか、 めったに小学校の思い出を語ることはない。
よかれと思って決めた方針が、 娘たちにとっては船出のときからマイナスに働いた。そのことを、父親として、きわめて残念に思っている。
アルバムをめくって入学式の日の写真を見ると、 七分咲きの桜花に飾られて船出する彼女たちはピカピカの一年生らしく、はにかみを含んだ笑みを浮かべている。 その小さな胸の内には、期待と不安の交錯した切ない思いが詰まっていたのだろう。
おかげさまで、うちの子も小学生になりましたと、母親は挨拶状を付けて同じ写真をほうぼうへ配った。 親戚の家でアルバムを見せてもらうと、その隅に娘たちの面影が見つかる。
わが家のアルバムにも親戚や知人の子供たちの写真が貼ってある。 七五三や入学式のときに送られてきたのを、そのつど大事に保存することにしている。二十年以上も前のものになると、いまでは結婚して子供の産まれた甥や姪がいる。彼らも自分たちの子供の写真を送ってくれる。 ――こうして子供の写真は、かぎりなく増えていく。
頂いた写真を大事にしているのは、 単に思い出のためばかりではない。私自身に貴重な体験があるからだ。
私の育った岩手県の一関市は、 昭和二十二、二十三年の二度にわたって大水害に遭っている。 このため、それ以前に撮った家族の写真は全滅した。
ところが、その後、失われた写真が各地から届けられた。 親戚や知人に送っておいたものだった。なかには姉たちや私の幼いころの写真もあった。
いつなんどき災害に遭うか分からないのは、 ここ数年の実例を見ても分かることだ。少しぐらい押しつけがましく思えたとしても、大事な写真はたくさん焼増しして、ほうぼうへ送っておいたほうがいい。また、送ってきた写真はかならず保存しておくことだ。
入学式の写真は、子供たちには貴重なものだから、ことにも大事にしておきたい。いずれ大人になれば、春の日の晴れやかな船出に思いを馳せることが、きっとあるはずだ。